或る日、二人の熱心党の幹部が、最近エルサレムにやってきたナザレのイエスという預言者を訪ねることになった。
ガラリヤで評判の男だ。
仲間のシモンが彼の弟子になっていたし、噂では民衆に、ローマ人の兵隊にホオを引っぱたかれたらウジウジと引き下がらずに逆のホオを差し出してやれと訴えているそうではないか。
そのような反骨の人物を仲間にすればしめたものだ。
しかしイエスは内心、熱心党には乗り気ではなかった。
その頃何人もの自称預言者達がメシアと祭り上げられてローマへの反乱の旗印となっている。
しかし結局は十字架の上で鳥に身体をついばまれてお終いだ。
このような見込みの無い反乱をまだ繰り返すつもりだろうか。
それに彼らは反抗の先頭に立つ人間が欲しいだけだ。
別にそれが彼である必要はない。
さて、二人はイエスに会うと先ずローマの税への不満を述べた。
「先生、何故わたしたちがローマ皇帝に税金を納めなくてはいけないのでしょう」
勿論イエスが同調することを期待してだ。
少し当時の事情を説明すると・・・
すでにユダヤ人には神聖なエルサレム神殿への十分の一税を支払う義務があった。
神殿税とはユダヤ人にとって神への貢ぎ物だ。
律法にも記述されており、神聖かつ否定できない税金である。
ところが困ったことに当時ユダヤに流通していた貨幣はローマの通貨であり、その表にはローマ皇帝の像が刻んである。
律法では偶像の崇拝を禁じている。
つまりこの通貨では神殿税を支払う事ができないのだ。
そこで神殿で造幣された貨幣に交換する為に、あの悪名高い神殿の両替商を通さなければならない。
つまり十分の一税は実質的にはもっと重い税金となっていたのだ。
その上ローマに支配された現在、ローマ皇帝にも税を支払わなくてはならない。
これに不満を感じないハズがないではないか。
しかしナザレのイエスの観点はエルサレム生まれの二人とはちょっと違っていた。
ガリラヤ人は元々エルサレムに対して多少の反感を持っている。
彼らは自分達をいつも田舎者扱いだ。
確かにガリラヤはエルサレムからは遠く離れている。
しかしだからといってエルサレムより神から遠いだろうか。
いや神殿の中の様子はどうだ。
両替商は暴利をむさぼり、祭祀たちがその上前をはねている。
この熱心党の二人が守ろうとしているのはその様な体制だ。
ガリラヤ人にとってはどちらも支配者でしかない。
そこでイエスは熱心党の二人に言った
「ではきみたちの支払っている税金とやらを見せてくれないかね」
怪訝な表情の二人に
「いや実際にきみたちがローマに支払っているお金を確かめたいんだ」
そこで二人は財布から銀貨を数枚取り出してイエスの前に差し出した。
意味はわからないが、金を要求しているんなら多少は用意している。
イエスの人気が利用できるなら安いものだ。
ところがイエスはその一枚を指で拾い上げると、まじまじと眺めながらこういった。
「おやいけないね、これにはローマ皇帝の顔が刻んである。
見たところ元々がローマ皇帝のものじゃないか。
持ち主に返してやるしかあるまいね」
・・・・
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