曲は作品と成り得るが、音楽は作品じゃない。
あくまでその場と時が必要だ。
エジソンがレコードを発明するまでは、音楽を記録する方法は楽譜しかなかった。
つまり19世紀以前では最低でも音楽がその演奏者と身近に存在していたハズだ。
だって演奏者がいなければ音は鳴り出さなかったんだから・・・
ところが録音という技術はそれを一変させた。
聞き手は好きな時に好きな場所で自分の好みの音楽を体験できる。
それはとても素敵なことだけど・・・
でもそれじゃ大事な事を忘れている・・・
つまり
音楽はレコードじゃない。
せめてそれを演奏/聞いている、その場に存在しているんだ。
ジーザス、ねえジーザス
おれにおあつらえの場所を見つけてくれよ
ジーザス、ねえジーザス
おれにふさわしい場所を見つけてくれよ
このよわっちい魂から救ってくれないかい
だって栄光って世界からはウンと遠く離れちまったんだ
ジーザス、ねえジーザス
最近、電車の中でうわごとの様にこれを唄ってる。
いや正確にはうなってる。
声にならない息で、この歌詞を漏らしてる。
そして考えていた事・・・
僕ができる一番最上な事は音を創る事。
でもそれをきみが聞いてくれなければ音楽にはならない。
だってきみがその『音』を『楽』しんでくれなければ、それは
ノイズ
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