3,May.04 (月) 00:58 |
"イエスが言った、「もし肉が霊の故に生じたのであれば、それは一つの奇跡であるが、しかし、もし霊が身体の故に生じたのであれば、それは奇跡中の奇跡である。 しかしそれでも私は、いかにしてこの大いなる富がこの貧困の中に住むに至ったかに驚嘆している」。" (トマスによる福音書−29『Q資料・トマス福音書』新免貢訳より) |
さて、もし霊が存在するとして・・・ それが身体を持たない状態で存在する時とは、一体どの様に世界を把握するものなのだろう。 ローラーコースターに乗った自分を想像してみるといい。 歯をくいしばっているのは君の身体だが、それを強要しているのはこころだ。 こいつはどうも、その入れ物に左右されやすいらしい。 それを失くしても、はたしてわたしの霊は自分を保っていられるだろうか。 わたしはここに生きている。 しかしそれでも今、わたしはここに生きている。 だがしかし、こんな儚くも厚かましい存在が、今ここに存在し、しかもそれがわたしだとは・・・ |
3,May.04 (月) 19:41 |
きみはその生命ある時間を存分に使え。 つまらないモノなど存在しない。 つまらないのはきみのその見栄だ。 時間はいくらでも短く、または永くもなる。 どんなに偉大な人間でも どちらが素晴らしいことかって? |