19,May.04 (水) 09:31
当然だが『自由』とは弱者には辛く、強者には優しいものである。
わたしはそれが抑圧された時代に生まれ、徐々に解放された時代に成長し、今を生きている。
『自由の女神』の気儘れさは知っているつもりだ。
でもね・・・

アメリカには『自由とは獲得するものだ』という信念があった。
中東にまで出かけてその押し売りをしだした現在、それは過去形でしかありえないが・・・
日本はどうかというと、昔からそれはお役人の専売特権だった。
なので彼らに都合の良い自由はあふれているが、都合の悪い自由は抑圧されたままである。
でもね・・・

今の若者は『自由』という言葉に多少ひるんでしまうようだ。
その責任という側面を脅され続けたせいだろうが・・・
冗談じゃない。
自由とは常に自由であり、それ以外のナニものでもない。
自由にふるまえば当然その結果は自分に返ってくる。
しかしではそれを放棄すれば誰かが責任をとってくれるのだろうか?
そんなワケはない。

重ねて言うが『自由』とは弱者には辛く、強者には優しいものである。
しかしその獲得競争を放棄すれば待っているのは強制収容所でしかない。
若い頃警察の留置所に留められた時は思ったね。
楽して生きたきゃこんないい場所はない。
でもそこじゃギターも弾けやしないんだ・・・