6,Jun.04 (日) 11:10
今を一番知らないのは、今を生きている僕ら自身なのかもしれない。

人類は、過去の経験から未来を予測する視点を持った生命種である。
天体の運行と気象との関連性の発見が古代文明の起点となり、そして現在、出かける前に Yahoo の天気予報をみて傘を持っていこうとしている私が居る。
しかし未だに天気予報は時々は外れるのだ。

人類は今までに数多くの法則を発見し、その知恵から数多くの発明/発見を行ってきた。
人類がコンピュータを手に入れた時、かなり早い時期から Lisp という人工知能用プログラミング言語を登場させたのは象徴的である。
私たちは法則を発見しさえすれば全ては計算可能であるという予測をもっている。
つまりコンピュータに知恵を蓄積し、それを使う知恵を与えれば人工知能が誕生するハズだった。
しかし未だにコンピュータは満足な言語解析すら出来ないでいる。
いや実際は未だに現在の計算能力では人間の知覚を判断するという機能にすら追いついていない。
やっとノシノシと歩ける様になったロボットが現在の限界なのだ。
では本当に鉄腕アトムは誕生するのだろうか。

再度引用しよう。

"イエスが言った、「もし肉が霊の故に生じたのであれば、それは一つの奇跡であるが、しかし、もし霊が身体の故に生じたのであれば、それは奇跡中の奇跡である。 しかしそれでも私は、いかにしてこの大いなる富がこの貧困の中に住むに至ったかに驚嘆している」。" (トマスによる福音書−29『Q資料・トマス福音書』新免貢訳より)

コンピュータ・ソフトをメシの種とする人間として、わたしはこの言葉に深い共感をおぼえる。
勿論わたしの解釈は定説ではない。
しかし『霊』を『知能』と読めば趣旨はご理解いただけるだろう。
この知識と知覚を持ち、なおもそれを制御し生きようとする意識をもった生命体は、なんと奇跡的な能力を持ったコンピュータであろうか。
勿論それはわたしやあなたの事である。

ところでわたしが今までに知った最も根本的な法則は『諸行無常』つまり『常で在るものはナニも無い』という知恵である。
そう今という瞬時は明らかに過去に存在した時間ではなく『今』なのだ。
ナニが起きても不思議ではない。