9,Sep.04 (木) 08:22
イエスと同時代のユダヤ教パリサイ派の指導者ヒレルの言葉 

「もしわたしが、自分のために存在しないのなら、だれがわたしのために存在するのか。 もしわたしが、自分のためだけに存在しているとしたら、わたしとはだれなのか。」(ミシュナー『アボート』1.14)

社長は会議室の奥の席にタダ一人座りながら待ちくたびれている。
真っ先にドアを開けて入ってきたのに、部下は誰一人、中に入ってこようとしない。
全員、外で入るのを躊躇している。
アンタもイエスの言葉の意味がわかっちゃいない。
「最初の者が最後の者となり、最後の者が最初の者となる」(マルコ 10.31)
そう、最初にドアを開けたのなら、最後の一人が入るまで、そのドアを開けたままで待っていなきゃいけない。
つまり最後に入るべきは、社長、アンタだったんだ。

面白い事をしようぜ。
気紛れに暇を使ってるヒマはない。
ヒマなやつほど、ありきたりに暇をつぶす。
面白い事をしようぜ。
その頭、ありきたりの悩みで満たすより、少しは面白い事を考え出すのに使えないのかい。
ヒレルも、上の言葉にこう続けている。
「もし今でなければ、いつの時があろうか。」