9,Nov.04 (火) 23:20
ノノさんはジャズ喫茶ではいつも、煮立てすぎのコーヒーを美味しそうになめながら、コルトレーンのフレーズにあわせようと、ひとさし指と中指でヒザをたたきながら、大きな身体をゆらしていた。
そう、時代は60年代安保闘争の終わり頃。
ノノさんの住処も全共闘かナントカの、つまりアジトのようなアパートで・・・わたしと彼女が東京に出てきた時は何度か留めてもらっていたんだけど・・・ノノさんの口から出てくる名前はサルトルがどうした、とか・・・ニーチェはどうだ、とか・・・ナゼかマルクスのマの字もレーニンのレも聞いた事がない・・・

そう、最初に出会ったのは、わたしが高校を中退したてで、東京を捨てて田舎にやってきた演劇集団に世話になっていた頃。
やはりブラリとわたしの故郷に居ついてしまったノノさんは、狭い田舎の事、いつの間にか仲間に入り込んでいて・・・で、時々その仲間で公会堂なぞを貸切でフォーク・コンサートなんぞを企画していたのだけれども・・・フォークといってもいわゆる「四畳半フォーク」などと揶揄される前、いや実際はもっと貧乏臭くみじめったらしい音楽だったかもしれないが、それでも言葉にはなにか未だ語られていない、しかし語られるべきモノがあるハズだと、せめて歌い手は信じていた頃だ。

そんなある日のコンサートでの事。
ゲストで呼んだ東京からのシンガーが或る殺人犯についての唄をうたいはじめた。
客席でひとりウィスキーのボトルをチビチビとなめていたノノさんは、顔をこわばらせると、急に怒りに顔をひきつらせて、その手にもっていたボトルをステージに向かって投げつけ、大声で怒鳴りだした。
未だコンサートってのは大人しく聞くのが常識の時代だ。
投げつけられたフォーク歌手は一瞬唖然とすると、しかしやはり顔を真っ赤にしてノノさんをにらみつる。
場内は騒然・・・しかしノノさんはみんなの冷ややかな眼をあびながらも、悠然と会場を出て行く。
もっともクチでは、なにかグチグチともらしながらだが・・・

その殺人犯「永山則夫」という人物が、どういう人物であったのか・・・それを知ったのは、それから随分たってからのことなのだけれども・・・その騒動の日からノノさんはわたしのヒーローだった。

僕らはそれから流浪した。
今ではみんな離れ離れ・・・だってもう前世紀の話しなんだぜ。
でもノノさん・・・もし今度わたしに機会があったなら、きっとノノさんの様にカッコよく「異議申し立て」をしてやるつもりさ。
そうとも・・・こんなおいぼれにだって、未だ言い足りない、いや、言うべきナニかはあるハズだから・・・