6,Mar.05 (日) 18:17
ギリシャではゾロアスター、ドイツではツアラトストラ、そしてその信者はザラスシュトラ。 BC15〜11世紀頃の古代ペルシア(現代のイラン)に実在したとされる聖者。 その教えは最古の一神教のひとつされ、BC6〜4世紀の(アケメネス朝)ペルシアで最盛期を迎え、アレクサンダー大王による徹底的な破壊の後、セレウコス朝(BC4〜1世紀)の不遇時代を乗り越え、パルティア王国(BC3〜AD3世紀)ササン朝ペルシア(AD3〜7世紀)で再度復興する。 しかしイスラム教徒の侵攻により7世紀以降にはイランから一掃され、現代ではイランに1〜9万人程、またイスラム侵攻時にインドに逃れた、いわゆるパールシーと呼ばれる人達がおよそ10万人程、またその後世界に散って現在も信仰を守っている人達すべてを合わせても、僅かに20万人程度だという。

ところで世界で最初の一神教、つまり唯一絶対な神への信仰はユダヤ教が最初というのが定説とされる。 しかしこれには多くの疑義がある。 先ずユダヤ民族の始祖アブラハムの信仰は本当に一神教であったろうか。 いやせめてアブラハムが信じた神は唯一ではあるが、それは彼の一族の守護神的存在でしかなかったのではなかろうか。 ユダヤ聖書(旧約聖書)でのアブラハムの神は、幾度もの奇跡で彼を助けるが、しかしそれは守護神的性質を外れるものではない。

またエジプト第18王朝アメンホテップ4世(BC1364-1347頃)は太陽神アテンを唯一の神とするアテン信仰を起こした。 これは当時エジプトで強大であったアメン神官への対抗としての非常に政治的な宗教改革運動だった。 その為、王の死後アテン信仰は挫折するのだが・・・これは丁度モーゼのエジプト脱出の直前の時代にあたる。 つまりユダヤ民族は明らかにこのアテン信仰という事件を身近に体験しているのだ。

そしてバビロニアのネブカドネザル2世によりユダ王国が滅ぼされ、その民衆の殆ど全てが連行された、いわゆるバビロン捕囚(前586頃)の時代。 その隣国ペルシアで栄えていた宗教こそがゾロアスター教である。 またそのユダヤ人を解放し故郷の地パレスティナに戻したのもペルシアの大王キュロス2世である。 つまり当時のユダヤ民族はペルシア、またその主要宗教であるゾロアスター教に、それほど好意をいだいていたとしてもおかしくはない。 証拠に『最後の審判』はユダヤ教起源ではなく、明らかにゾロアスター教から取り入れられた概念である。

さて歴史とは最後に勝ち残った者が総取りするフィクションである。 勝者は歴史を書き改め、沿わぬ証拠は破壊する。 中世イスラム帝国がゾロアスター教徒に為した弾圧はまさにその様なものであったようだ。 今日残っているゾロアスター教の聖典は往時の1/4しかない。 しかしそれでもなおこの宗教には特筆すべき教えがある。 それは自由意志による選択である。

宗教家が陥るパラドックスに『何故悪が存在するか』という疑義がある。 もし神が全てを創造したのであれば、悪もまた神が創造した事になる。 では何故神は悪を創造したのか。 いやそれとも悪が存在するという事は、それ自体が神が完全ではないという証拠ではないだろうか。 この疑問にキリスト教グノーシス派は天地創造神と絶対神を分けて説明しようとした。 しかし、これにも無理がある。 では何故絶対神は創造神の出現を許したのか。

ザラスシュトラの教えはこうだ。 すなわち絶対神アフラ・マズダーは最初に純良な知恵と意識の霊スプタ・マンユを創造した。 しかしスプタ・マンユは物質世界を求める。 そこでアフラ・マズダーは、それが邪悪を生み出す事を教え、選択させる。 善霊の選択は物質世界の創造であり、かくて邪悪の霊アンラ・マンユが発生する。 こうして相容れぬ善と悪の二つの霊が対立する天地が創造された。 アフラ・マズダーは人間に自由意志を与え、男も女も自分で思惟し判断する事にまかせる。 邪悪を退け善意を選ぶのは随意だ。 だが邪悪を選択する者は無知の中に留まることでしかない。 ゆえに知恵ある者は善を選択する。

これが善悪二元論の要約である。 注意すべきは、善/悪は常に個人の判断に任せられているという点だ。 決してユダヤの律法の様に事細かに事例が示されているワケではない。 個は生まれた時から持っている善霊に従って判断する事が期待されているにしかすぎない。 実に肯定的な人間観ではないか。

ニーチェはツアラトストラに『神の死』の連絡係りの役をさせた。 しかしそれは余りにミスキャストであったようだ。