22,Apr.05 (金) 00:53
≪唯一神のパラドックス≫

 もし≪唯一神≫が存在するとしよう。 ではその≪神≫とはどのような存在だろう。 グノーシス派は反対するだろうが、あえてカソリックに従い≪創造神≫つまりこの世界、宇宙を創造した存在としよう。 では、誰が彼を創造したのか・・・

 いや≪唯一神≫は誰も創造できない。 もし≪唯一神≫を創造できる存在が居るなら、その≪創造主≫は≪第二神≫も創造できるだろう。 ≪やおろずの神≫ とてアリだ。 たまたま一人っ子だとでもいうのだろうか。 しかしそれでもその≪創造主≫の存在ゆえに≪唯一神≫とは言いがたい。

 では≪唯一神≫はナニゆえに発生したのか。 それとも≪完全なる無≫から生まれる者もありえるという事か・・・では≪完全なる無≫とは・・・しかし≪無 ≫からはナニも生まれない。 ナニか生まれるなら、それは≪無≫ではない。 つまり≪唯一神≫は始めから存在し、そして≪始まり≫自体が無かったことになる。

 さて≪始まり≫が存在しないとなると≪終わり≫は存在しえるだろうか。 生命は死ぬ。 しかし生命という集合体が消滅するワケではない。 タダ死ぬだけだ。 エネルギーはまた違う形へと変化する。 ≪変化≫は終わりではない。 ≪完全な無への収束≫つまり≪終わり≫などは存在しえない。

 さて≪唯一神≫よ。 実はあなたの別の名も知っている。 ≪AにしてZ≫ つまり「(存在しえない)≪始まり≫にして(存在しえない)≪終わり≫」 わたしは考える。 あなたを考える故にあなたは存在する。 そしてあなたが存在するが故にわたしも存在する。 さて最大のパラドックスは、ナゼか≪わたしが存在する≫かって事。

・・・だってわたしは確かにここにいる・・・