5,May.05 (木) 14:50
アイデンティティ(identity) : 日本では『主体性』という意味で用いられる事が多いが、元来は『同一性』または『帰属性』という意味が強い。 古くはローマ帝国時代から他民族が入り混じる状況にあったヨーロッパにおいては『主体性』=『自分の帰属する民族/宗教』という図式が成り立つが、殆ど単一民族の日本社会ではその『帰属性』という側面が抜け落ちてしまったようだ。

それでは「アイデンティティを大事に」と言われたら「神国日本の臣民です」と胸をはればよいのだろうか。 どうもそれも気色悪い。 「わたしもあんたも同じ日本人だから、ここは暗黙の了解で」となってしまう。 ここは誤用を避ける為にも「主体性を大事に」とすべきか・・・

さて孤高の日本社会人の皆様。 米国に渡れば白人と同等に扱われ、自分は白人だと錯覚し・・・中国に渡れば小狗と揶揄され、自分は罪人の子孫だと落ち込んで・・・ヨーロッパに渡れば東洋の神秘ともてはやされ、愛具と成り果てる。 つまり他人の評価に馴染みやすいんですな。 逆に言えば他人に示す『自分の定義』ってヤツに乏しいか、あっても説得力が無いってわけです。

そこでわたしも考えた。 「え〜わたくしは雪国生まれのネクラ育ちでして、たどり着いたは大都会東京の西の端。 どうせ同じ価値観を共有できるヤツなどいないとアナーキーを気取りながら・・・気付けば地面のアナアケー(土木作業)のその日暮らし。 これじゃイカンと体力ではなく、一応は知力を使う仕事(俗に頭のドカチン仕事とも言う)に変えて、なんとか今まで生きてきました。 趣味は酒呑んで愚痴る事。 宗教は当然ディオニソス教。 ってワケで、現住所は東京サイケデリッ区」・・・だなどと・・・