26,Jun.05 (日) 00:31
京都には等持院という足利将軍家の菩提所のお寺がある。 その内部の霊光殿には歴代足利将軍と(ナゼか)徳川家康の木像が並べられているのだが、江戸時代末期には尊皇攘夷派浪士が尊氏、義詮、義満の1〜3代までの首を抜き取って、三条河原にさらし首にするという事件があった。 また庭にある尊氏の墓には今も当時の浪士が切りつけたという刀傷が残っている。

ナゼ尊皇攘夷派がそんな事をしたかといえば、まさに徳川幕府を倒し天皇中心の国家体制を作ろうとしていた彼らにとって、500年程も前の後醍醐天皇中心の建武の新政こそは理想であり、それを潰して南北朝の対立時代を招いた足利尊氏は逆賊中の逆賊であったワケだ。 また明治以降、太平洋戦争の終戦までの日本では、足利尊氏はずっと逆賊であり、為に由来する遺跡は幾度となく人々にツバをかけられ、足蹴にされた。 少年達はかの墓の刀傷をみてヤンヤの喝采をしていたワケだ。

さて、ここからが本題なんだが・・・小泉さんは「日本では死ねば皆ホトケになる」とおっしゃいましたよね。 観光案内をしてくれたジャンボタクシーの運転手さんが言ってたけど、「ホンマ浪士の皆はんも無茶しはりましたもんや」 ホンマ無茶だよね。 少なくとも「死なばホトケ」とは考えていなかったようだ。 しかし靖国神社のA級戦犯という人達はまさにその系列の人達なワケで・・・本人達もさぞや居心地が悪いだろうに・・・