6,Aug.05 (土) 01:33 |
パウロの手紙にはところどころに『異言』という単語が出現する。 新共同訳では『異言=strange tongues』という英単語になる。 『コリントの信徒への手紙』から抜粋すると
「異言(いげん)を語る者は、人に向ってではなく、神に向かって語っています(14.2)」(Those who speak in stange tongues do not speak to others but to God) さて、この『異言』とはナニか・・・ この手紙の内容から察するに、当時の教会ではミサの最中に精霊に満たされた信者がワケのわからない言葉(strange tongues)で話し始める事が度々あったらしい。 日本人的感覚では、そんなおごそかな場所でのそれは顰蹙以外のなにものでもないと思われるが・・・どうも当時はそうでもなかったらしい。 証拠に、あの堅物のパウロですら「あなたがた皆が異言を語れるにこしたことはないと思いますが・・・(14.5)」(I would like for all of you to speak in stange tongues; but,,,) と一概に『異言』を否定しない。 それどころか「わたしは、あなたがたのだれよりも多くの異言を語れることを、神に感謝します(14.18)」 (Even if your prayer of thanks to God is quite good, other people are not helped at all,,, ウム、英訳はもう少し意味を穏やかにしているようだが) つまり、信者は時として神と直接言葉を交わす時があるが、(どうも)それは普通人には通じないから「ワケのわからない言葉(strange tongues)」となってしまうダケ、という事のようだ。 が、しかし・・・ 「ねえ、今日は朝からうだる暑さでさ・・・」「まったくナニをワケのわかんねえ事を、ほざいてやがるんだ」「ナニもアンタに言ってるわけじゃないよ」「そりゃ悪かったね、なにかい、異言ってやつかい?」 いや今朝から酒を呑みすぎてね・・・ |