「愛する」という事を知るには 「愛されている」という事を知らねばいけないのだろか? どこか鶏と卵の |
20代の中盤に 裁判の判決がでるまでの保釈のあいだ 私は久々に故郷の家に戻っていた さすがにガックリして父に訊いた 私に出来る仕事はないだろうかと ここで私は暮らして行けるだろうかと 父は顔をしかめて首をふった なので |
そんな或る日 母方の祖母が私を訪ねてきた ナニか私に話があるという 応接間で二人だけにされると祖母は急に真剣な顔になり こう言った 「私の娘をもう困らせないでおくれ」 初めて見る祖母の厳しい顔だった |
子供の頃よく姉と私と妹の三人は 日曜日に母に連れられて祖母の家に行ったものだ そこは大家族だった我が家では考えられない贅沢にあふれていて そして私を特に魅了したのはお茶のお稽古で出る和菓子だ 勿論子供には抹茶だけではつらく そしてそんな私たちをみながら |
数年後、祖母が他界し その葬式の後に母に祖母にしかられた時の話をすると 母は少しうんざりした顔で 「そう、あのひとがそんな事をね」 とまるで吐き捨てるように 母は前妻の娘で祖母とは血のつながりがない なので母も実の母親の写真を そこに写っていたのはどこか悲しげな |
晩年の母はパーキンソン病を患った 実家は老人家族になっていた それでも停年の後の年金生活の中で 甲斐甲斐しく母を看病する父は 仕事人間だった自分を支えてくれた恩返しをしているのだと いつも口癖のように言っていた 病院で最後の息を終えた時、父は わたしはその場での居ずらさをこころに秘めながら |
いつごろだか思い出せないが 確か小学生の頃だったろうか 大家族だった我が家にたまたま私と母の二人きりだった時に でもその時の母の表情は 一体それは誰のことだったのだろう |
去年 いつも仲の悪かったフロリダ在住の姉から 国際電話がかかってきた 最近は教会のミサで合唱をしている姉は 姉と私は二歳違いなのだが 私が生まれるまで一身に受けてていた両親の愛情を なるほど確かにそうだったのかもしれない 「ほら私には全然似ていないでしょ」 そう私の様な出来損ないとはまるで違う 私があなたと仲良くなれなかったのは そして姉もまったくの勘違いをしている |
その前の年だったろうか 子供を連れて実家に帰った時に 糖尿病を患っている父は私を心配して お前は血糖値は大丈夫なのかと訊くので 偶々その前の週に人間ドックに行った時の診断書を見せて 「お前の血液型はB型だったのか」 と小声で言った 父が少し哀れに思えて返事もせずに私はうなずき だって母はA型で父はO型なのだもの |
by seven 2012 Apr' 29