わたしの履歴書
「愛する」という事を知るには
「愛されている」という事を知らねばいけないのだろか?

どこか鶏と卵の
どちらが先の論争に似てしまう


20代の中盤に
裁判の判決がでるまでの保釈のあいだ
私は久々に故郷の家に戻っていた
さすがにガックリして父に訊いた
私に出来る仕事はないだろうかと
ここで私は暮らして行けるだろうかと

父は顔をしかめて首をふった
そうなのだ
聖書の放蕩息子の話は成り立たなかった
10代で故郷を捨てた私には
すでに戻る場所ではなく
たまに思い出すしかない場所となっていたのだ

なので
実家で数週間を過ごしたのは後にも先にも
その時だけになってしまった


そんな或る日
母方の祖母が私を訪ねてきた
ナニか私に話があるという
応接間で二人だけにされると祖母は急に真剣な顔になり
こう言った

「私の娘をもう困らせないでおくれ」

初めて見る祖母の厳しい顔だった
いつもの優しい祖母の顔は
その時だけ怒りに満ちていた


子供の頃よく姉と私と妹の三人は
日曜日に母に連れられて祖母の家に行ったものだ

そこは大家族だった我が家では考えられない贅沢にあふれていて
庭には大きな池があり鯉が泳いでいる
卵一個すら高価な時代に卵かけご飯はご馳走だった

そして私を特に魅了したのはお茶のお稽古で出る和菓子だ
祖母は茶道の先生をしていたのだが
お弟子さんがよくお土産として色々な和菓子を持ってきてくれて
それがお茶のお稽古に出されるのだが

勿論子供には抹茶だけではつらく
しかしその渋みの後にしみこむ様な
それを調和してくれる多種多様な和菓子の甘味に
私は歓喜した

そしてそんな私たちをみながら
いつも礼儀正しく、しかし優しい微笑みを浮かべている
私の知っていた祖母はいつもそうだった


数年後、祖母が他界し
その葬式の後に母に祖母にしかられた時の話をすると
母は少しうんざりした顔で

「そう、あのひとがそんな事をね」

とまるで吐き捨てるように
小声でつぶやいた

母は前妻の娘で祖母とは血のつながりがない
実母は母がまだ幼い頃に死んだらしい
それは昭和初期では珍しい事ではなかったようだが
それでも公けに話す事でもなかった

なので母も実の母親の写真を
いつも隠す様にしまっていて
私が観たのも一度程しかないのだが

そこに写っていたのはどこか悲しげな
しかし憂いの中にも儚い美を秘めた
そんな女性の姿だった


晩年の母はパーキンソン病を患った
実家は老人家族になっていた
それでも停年の後の年金生活の中で
甲斐甲斐しく母を看病する父は
仕事人間だった自分を支えてくれた恩返しをしているのだと
いつも口癖のように言っていた

病院で最後の息を終えた時、父は
冷たくなった母の頬を両手でつつみながら
よく頑張った、よく頑張った
そう繰り返した

わたしはその場での居ずらさをこころに秘めながら
声を殺していた


いつごろだか思い出せないが
確か小学生の頃だったろうか

大家族だった我が家にたまたま私と母の二人きりだった時に
唐突に母がある男性の事を話し始めた
といってもナニか知り合いだったダケの
まったく今はどうしているのかも知らない男性がいたという事だけを

でもその時の母の表情は
なぜかいつもと違って見え
今思えば何かとても懐かしい事を想いだしているというような

一体それは誰のことだったのだろう
いまだに謎のままに母が墓に持っていってしまったのだが


去年
いつも仲の悪かったフロリダ在住の姉から
国際電話がかかってきた

最近は教会のミサで合唱をしている姉は
多少信仰に目覚めたのだろう
私相手に子供時代の懺悔を始め

姉と私は二歳違いなのだが
子供心に両親の愛の獲得のライバルとして私を見ていたのだという
なんと私に嫉妬としていたのだ

私が生まれるまで一身に受けてていた両親の愛情を
私が生まれたために奪われたと感じ
それを取り戻す為に
影で私に虐めや嫌がらせをしながら
両親の前では快活で可愛らしい娘を演じたのだという

なるほど確かにそうだったのかもしれない
でもあなたはそうしなくても実際に優秀な姉だったし
皆が認める可愛らしく美しい女性だった
そして
あなたが私をあなたの友達に紹介する時はいつも

「ほら私には全然似ていないでしょ」

そう私の様な出来損ないとはまるで違う
いつも優等生でいつも快活で笑顔の輝いている女性であったし
今もそうなのだ

私があなたと仲良くなれなかったのは
私とはまるで違う、または全く逆の人間な為に
あなたとどう向き合えばいいかを
持て余していたからだけなのだが

そして姉もまったくの勘違いをしている


その前の年だったろうか
子供を連れて実家に帰った時に
糖尿病を患っている父は私を心配して
お前は血糖値は大丈夫なのかと訊くので

偶々その前の週に人間ドックに行った時の診断書を見せて
安心させようとしたのだけれども
父はそれを観ると逆に表情をこわばらせ

「お前の血液型はB型だったのか」

と小声で言った

父が少し哀れに思えて返事もせずに私はうなずき
でも心の中ではこうつぶやいていた
なんだよ知らなかったのかい

だって母はA型で父はO型なのだもの


by seven 2012 Apr' 29