ユダの証言
悪いがオレはアイツがその前にどうしてたかなんて知りはしない。 所詮後世の伝記など、殆どが伝説か神話のたぐいだ。 今更オレがあいつの事を書き連ねてみったて悪かないだろう。 だがもしアンタの気に触ったなら許してくれ。 オレは歴史的にはそれ以上に名誉毀損をこうむっているんだ。

 オレの名はユダ。 オレの時代には姓なんぞ持っているのはローマ人しか居なかった。 なのでオレも(オレが居ない場所ではオレと他のユダを区別する為に)カリオテ人ユダなんぞと呼ばれているらしい。 ちなみにカリオテとは死海東岸辺りの村なんだが、エルサレムではモアブの土地としてあまり評判がよろしくない。 なのになぜそう呼ばれるかというと、オレの親父がそこに領地を持っていたからだ。 当然オレはそう呼ばれてうれしいハズはない。 だってオレは生まれも育ちもエルサレムなのだ。
 そしてその頃のオレは洗礼者ヨハネの教団で修行してた。 修行っていったって毎日ヨハネさんが新入りの頭をヨルダン河の水中に押さえつけて溺れさせるのを観察しながら、あれでどうやってローマと対抗しようってんだと訝ってただけなんだが・・・ というのもその頃のオレの関心事は「神の国」にあった。 といってアンタがたにはピンとこないだろう。 説明するには数十巻の書物でも足りないんだが(後の時代にフラニウスなんとかが書いたらしい)要約するとオレ達ユダヤ人はずっと属国扱いを受けてきた。 ハスモン王朝時代もそうだった。 そしてその王国をヘロデが乗っ取ってからもだ。 最初はエジプトのクレオパトラにおべっかをたれていたくせに、カエサルが優勢になるとあっさりそっちに乗り換える。 大王といいながらも実際はローマ支配の手下でしかないのだ。
 しかし彼は

ローマがこのユダヤにヅカヅカと入り込んできたのは、丁度オレが生まれた頃だった。 いやその前から

いってメシア運動ってのも好きになれなかった。 子供の頃から何度も自称メシアがT字型の木杭に釘でぶら下げられてカラスの餌になってるのを見れば、いい加減気付こうってもんだ。 こんな無駄な抵抗になんの意味がある・・・

それで若気の至りってんだろうか、毛皮をまとった荒野の預言者、そうヨハネさんにかぶれたってワケよ。 当時は誰がみたって第一の預言者だ。 エッセネ派の坊主でさえ一目置いてたし、ローマを背景に威張り散らしてるヘロデ・アグリッパス王でさえ文句をつけれない。 ヨハネさんは「やがて訪れる救世主の為に道を開いている」んだと言う。 そりゃオレも手伝わにゃなんめえ。
しかし一向に救世主が現れるきざしがない。 いや若いってのは気早なもんさ。 来年には、来月には、いや明日には・・・がしかし毎回失望が繰り返されると、これはどっかオカシイと考え始めちまう。 そうすると昨日まで稀代の預言者に見えていたものが、タダの潔癖症で、甘党の蜂蜜好きで、新米信者を河で溺れさせて喜んでるだけの変態オヤジに思えてしまう。
アイツがやってきたのはそんな時だった。

最初の印象はガリラヤ訛りが抜けないアンちゃんってところだ。 ところがヨハネさんが入会の儀式でアイツの頭を水に沈めようとした時、ナニを思ったんだか急ににらめ返してこう言い放った。
「アンタはオレのナニを洗い清めようってんですかい?」
するとヨハネさんは少し怪訝な顔をして
「ではきみはナニも罪は犯していないと言い張るのかね?」
こういわれちゃ普通は否定はできないんだが・・・ところがアイツはこう応えた。
「ナニを洗い清めるのかくらいは答えてくださいな、なんでもいいからってんじゃ乱暴ってもんだ」
さすがにヨハネさんも困った顔をしながら、しかし毅然とした態度でこう答えた。
「どうもきみこそは罪を犯した事のない神の子だと主張したいようだね。 とすればわたしがきみを洗礼するなど神への冒涜だろう。 さあ神の子よ、立って自分で人々を導くがよい。 わたしはそうはできない者たちを救うのに忙しいのだから」
体裁のいい言葉だが、要はとっとと何処かへ行っちまえって事だ。 しかしアイツはなおもこう応えた。
「いや、オレはひとの子なんで自分の罪は知ってまさぁね、だからアンタに洗い落としてもらいに来たんでさ」

結局ヨハネさんの洗礼を受けてからしばらくの間は、アイツもおれ達と一緒に行動していた。 他の仲間は怪訝がって近寄らない。 しかしオレは興味があったんで話してみると、これが意外と面白い。
なんで来たんだと訊くと「ひとを観に来た」という。 故郷じゃ金持ちの大工の息子として育ったんだが、誰も本当の事を言わない。 しかし陰では「不義の子」と揶揄される。 どうも母親がローマ兵に犯されて、それで生まれてきたらしい。 「でもそんな事はどうでもいいんだ」 アイツは溜息を漏らして続ける。
「親父がよく言ってたんだ“ひとを観ろ”って・・・」 道端の木の枝を拾い上げると 「オレの本当の親父じゃないかもしれない」 土の上になんやら文節を書きながら 「でもいつもオレの顔をしっかり見据えてくれたんだぜ」 なにかの一節だろうか 「故郷じゃオレを真直ぐ観てくれるのは親父だけだった」 オレはその一節を知っていた。 聖なる書の言葉 ”汝の隣人を愛せ”
結局40日目にアイツは出て行った。 いやヨハネ教団的には追放されたって事になる。 だって二日酔いのところを見つかっちまったんだ。 ヨハネさんは甘党の例にもれず酒には下戸で、それで酔っ払いが大嫌いだ。 即追放さ。
しかしオレは前日にアイツがこう言ってるのを知っている。 「ダメだよ、これじゃナニも良くならない。 皆が明日、明日こそはといっている。 明日にナニがある? 至福を明日に約束したってナンの意味がある? 今を楽しむ事を教えろよ。 明日の空証文じゃなくて、今生きてることをさ」 そしてアイツは夜の街へと繰り出し、翌朝にはヘベレケになって戻り、仲間に叱責されると、そそくさと荷物をまとめて出て行って・・・それ以来戻らなかった。

その後、ヨハネ教団は大変なことになった。 ヘロデ・アンティパス王が弟フィリポスからヘロディアを奪い妻とした事に激怒したヨハネさんは、これを痛烈に非難したんだが・・・これがいけなかった。
元々がユダヤ人でもユダヤ教徒でもない王は、しかし国を治める為に民衆の支持が高いヨハネさんを無視できない。 でも事が自分への批判となると話しは別だ。 王はすぐにヨハネさんを逮捕して城に幽閉し、ナニか口実をつけて処刑しようと試みるんだが・・
しかし略奪婚への批判だけじゃ都合が悪い。 少しは王もこれには良心の呵責があったんだろうか。 いやそれ以上に問題なのは国内が乱れれば、ローマがすぐに失政を理由に自分の王の身分を取り上げかねないのだ。 そうしてヨハネさんは幽閉されたままに日々が浪費される。
ところが思わぬ方向から救いの風が起きてきた。 アイツだ。 ヨハネ教団を去った後、アイツは弟子を増やしながら、いつの間にかユダヤ全域にその名を知られるようになっていた。 国内には真のメシアの到来という声が溢れている。 これこそ機会到来だ。 今ならヨハネを殺したって、ユダヤ人には次の希望がある。
残念ながら、オレはサロメの妖艶な踊りを観る事はできなかったが・・・多分にこんなことだったろうとは想像がつく。 つまり彼女を宴席に出す前から筋書きは出来ていたんだ。 王がその踊りを褒めて、ナニか褒美を与えると言う。 そこでサロメは母親に助言を請うが、母親はかねてより自分を非難するヨハネさんが憎い。 そこでサロメにヨハネの首を求めよと言う。 あどけないサロメは言われたままに母親の言葉に従い・・・
つまりは誰もヨハネさんの死への直接の責任を問わずに、闇に葬ったってワケさ。 実に利に叶ったローマ的処理だ。 オレはうなったね、勿論次に兵隊がこの教団を根絶やしに来る前に逃げ出す用意をしながら・・・

行き先を求めて、アイツのところにたどり着いたとき・・・アイツは資産家の息子を追い返していたところだった。 精密な刺繍を施した上着を、しかし肩を落としながら去っていくそいつを見送りながら、アイツはこうもらすんだ。
「まったく、金持ちってのは天国から一番遠い連中だぜ。 捨てようにも、身体に縛りついた権力ってヤツが実は金でしかないって事に気付かない。 いやもし気付いていても、それを捨てる勇気がない。」
そこでオレはこう応えた。 「でもオレがヤツほどに財産があったなら、それをどう使おうかと真剣に考えるのは当然とも思えるがね。」
するとアイツはオレに笑顔で振り返ると
「そうとも、あいつらには金貨何枚でナニが買えるかは知っていても、買えないモノを手に入れる方法がわからない。 金貨で憩える女は買えるが、その女の膝の上でどう憩うかを知らない。 きみならそれを知っている。 どうだい、一緒に来ないかい?」
そしてオレはアイツの仲間になった。

しかし、アイツの仲間ってのは、まるで色とりどりのゴロツキばかりだ。 文字も読めねえ漁師や、金を取り立てる為には暴力だって辞さない収税人。 ローマの傭兵がいれば、ユダヤ民族主義のテロリストもいたり・・・こうみえても育ちのいいオレはアイツに言ってやった。 こりゃまるで山賊の巣じゃねえか。 するとアイツは笑いながら 「健康な人間しか看ない医者ってのは、本物の医者じゃない。 医者が本当に必要なのは病人だぜ」
冗談じゃねえ、当時の医者なのてものはエジプトかぶれの似非魔術師ばかりで、そこいらに生えてる草をすりつぶしては病人に塗りたくって高額な金をせしめて威張ってる連中のことだ。 しかもアイツの周りに居る連中は病人というよりは、病人から金を奪う方じゃねえか。 するとアイツは笑い飛ばして、「だからこそ汝の敵を愛せ。 つまり、こころを」 そしてアイツはオレに教団での最初の仕事を与えた。 それはアイツの結婚式なんだが、しかし・・・その相手は、元神殿娼婦のオンナだぜ!
いや、あえて断っとくと、神殿娼婦ってのは街角の娼婦とはワケが違う。 丁度あんたの時代なら高級クラブのホステスと場末のソープ嬢ほどの差があるんだが・・・ しかし娼婦には違いない。 誰がまじめに結婚なんて考える? しかしアイツはそうした。 しかもガリラヤから家族を呼んでまで・・・
そりゃ最初はもめたさ。 母親はアイツの兄弟達と結婚式場の前で、散々文句を並び立て 「ウチの血筋にこんな穢れた血が混ざるだなんて」 と嘆きだす・・・オレはそれはごもっともだがと応えながら、なんとか式には参列してくれと頼み込み・・・ところがアイツは、それなら列席しなくてもいいなどと言いだす。 オレが家族をほっといていいのかといさめると 「オレの家族ってのは誰のことだい? ブラザー&シスターなら、すでにここに居るじゃねえか」
そうじゃないだろ! オレはとにかく家族を説得して席に座らせると、この日の為にと用意した極上のワインを蔵から出してみんなに振舞った。 最上の料理とワイン、これほど人間をなごませるものはない。 「こいつは奇跡だ!」 お調子者のペテロがグラスを掲げて宣言する。 そうとも、お前さんじゃ用意できない品物さ・・・

翌日からオレの経理の才能が花開いた。 この教団は余りに急速に発展したものだから、誰もが楽天的に過ぎた。 荒野で集会を開いても、その為の費用を誰も考えていない。 幸いオレはヨハネ教団での経験からその問題点を知り尽くしている。 例えば4000人が集まれば、その食事だけでも大変な費用が必要になる。 だからオレは予め参加者に昼食持参でくるように知らせていた。 ところが今迄そんなことをしたことが無いペテロなんぞは、それを見てこういいだした。 「見ろよ、4000人が集まって誰も飢える者が居ない。 これが奇跡でなくてどうする」
大体オレはペテロが嫌いだ。 なにかとアイツの横に座りたがり、仲間の中での順位を気にしたがる。 しかもオレが教団の財布を任されたとなると気に入るはずはない。 あるときなぞ、あからさまにオレに敵意をむきだしにして、アイツに自分を教団のトップの座にしてくれと申し出たりする。
そこでアイツはみんなを前にこう言った。 「しかし、お前らナゼ他人の上に立ちががるんだい?」 みんなが黙ると 「さあ、ここで一列に並んで座ってくれ」 と言って、新婦に濡れ雑巾とバケツを持ってこさせると、順番に弟子達の足を拭き始めた。
「いいかい、みんなを導く者は、みんなへの奉仕者でなくちゃいけねえ。」 アイツは雑巾を持つ手を止めずに 「一番偉大なヤツは、この世では一番小さくなきゃいけねえ」 額の汗をぬぐい 「最初に門を開けた者が、最後にそこを通るんだ。 もしおまえが最初に通り抜けたんでは、残された連中は自分が入っていいのか躊躇してしまうだろうが・・・」
アイツはオレの脚を洗い出すと、こう言った。 「大体お前らは、オレが何者なのか知っているのかい」 ペテロが追随した 「勿論メシア、救世主ですとも」 トマスが続いた 「いえ、言葉ではいい表せない方です」 しかしアイツはオレの目を見てこう言った 「お前は知ってるだろ」
そうとも知ってるさ、大酒呑みのオンナたらしで、枠に閉じ込められるのが大嫌いな偏屈野郎さ。 でも人間ってのはもっと偏屈で、時にはもっといい加減だって事も知ってるくせに、そんな連中が大好きだっていうヘソ曲がり者さ。
するとアイツはうれしそうに小声でつぶやいた。 「そうとも、考えれば考えるほどに人間ってヤツは面白いぜ。 もしも神様がこの身体に魂を吹き込んだとすりゃ、そりゃ奇跡だが・・・しかし、もしこいつが自然と生まれでたとしたら、そりゃ奇跡以上にスゴイぜ。」 オレはアイツのあまりの楽天的な視点にあきれながらこう応えた・・・
そうとも、人間ってヤツはつまらない。 いまだに自分がナニ者かさえわかっちゃいねえ。

しばらく後に熱心党の幹部がオレを尋ねてやってきた。 子供の頃からの友人だ。 話題は自然とアイツの事になり・・・
「ガラリヤで評判だそうじゃないか」 いや、もうすぐエルサレムでも評判になるさ 「オレの仲間のシモンも弟子だそうだね」 ああ、あの血の気の多いヤツだね 「噂では民衆に、ローマ人の兵隊に右のホオを引っぱたかれたら、ウジウジと引き下がらずに左のホオを差し出してやれと訴えているそうではないか」 そりゃ、そのまま黙ったままで半殺しにされるよりはいいだろうが 「そんな反骨の人物を是非仲間に加えたいもんだね」
やつらのネライは明白だ。 アイツを新たな旗印に祭り上げようってハラだ。 執拗にオレに紹介しろとせがむんだが・・・ しかしオレの中の悪魔がささやいた。 「どうって事はないだろう、アイツならこのトリックに乗りはしないさ」 そうとも、オレはその時、間違いを犯した。 アイツを試そうという誘惑に負けちまった。

アイツに友人達を紹介すると、二人はすぐにローマへの不満を並び立て始めた。 オレ達の時代のユダヤ人なら当然の事だ。 オレ達はエルサレムの神殿に10分の1税というのを収めなきゃいけなかった。 例えばアンタ達の時代なら消費税10%って事だ。 だがこれは神への貢ぎ物だ。 律法にも記述されており、神聖かつ否定できない税金で、これを収めないだなんて人間じゃない。 いやせめてユダヤ社会じゃ生きていけない。
ところが困ったことにオレ達の時代にユダヤに流通していた貨幣はローマの通貨で、これには表にローマ皇帝の像が刻んである。 しかし律法じゃ偶像の崇拝を禁じているから、この通貨では神殿税を支払う事ができないときた。 そこで神殿で造幣された貨幣に交換する為に、あの悪名高い神殿の両替商を通さなければならない事になる。 つまり10分の1税は実質的にはもっと重い税金だ。
しかしこれはユダヤ人としては当然の義務であり、あえて言えば自分達がユダヤの神の子である事の存在証明みたいなもんだ。 だからみんなその日のパンも節約して、この税金の為に一生懸命働いている。

ところが或る日以降これに、もうひとつ税金がかかるようになってきた。 そう、偉そうに進軍してきたローマへの税金だ。 オレ達はローマからどんな利益を得ている? ナニも無い。 どんな義理がある? 冗談じゃない。 あの野蛮人どもは祭壇に自分達の皇帝の像を建てようとするような不敬の輩だ。 そんなヤツらになんで金を納めなきゃならないんだ。

でもガリラヤ生まれのアイツの視点は、ちょっと違った。 元々ガリラヤ人はエルサレムに対して多少の反感を持っている。 エルサレム人はガリラヤ人をいつも田舎者扱いだ。 確かにガリラヤはエルサレムからは遠く離れている。 しかしだからといってエルサレムより神から遠いだろうか。 いや神殿の中の様子はどうだ。 両替商は暴利をむさぼり、祭祀たちがその上前をはねている。 この熱心党の二人が守ろうとしているのはその様な体制だ。 ガリラヤ人にとってはどちらも支配者でしかない。
そこでアイツは熱心党の二人に言った
「じゃあ、アンタらの支払っている税金とやらを見せてくれないかね」
怪訝な表情の二人に
「いや実際にアンタらがローマに支払っているお金ってのを確かめたいだけでね」
そこで二人は財布から銀貨を数枚取り出してアイツの前に差し出した。 意味はわからないが、金を要求しているんなら多少は用意している。 それを受け取ろうってんなら、それもいい・・・それでアイツの人気が利用できるなら安いものだ。
ところがアイツはその一枚を指で拾い上げると、まじまじと眺めながらこういった。 「おやいけないね、これにはローマ皇帝の顔が刻んである。 見たところ元々がローマ皇帝のものじゃないか。 持ち主に返してやるしかあるまいね」

体よく追い返された熱心党の友人二人は、帰り際にオレにこう愚痴って帰っていった。 「我々だってこんな状況は本意じゃない。 なんとかしたいとは思っている。 しかしその為には皆が団結しなくてはいけないんだ。 例え両替商といえど。 だがアイツはそれを理解しているか? 単に自分の思うが侭に人々を動かそうとしているだけじゃないか」
イタかった。 オレはこの社会のために自分を犠牲にしてきたつもりだ。 ところがアイツ(オレの先生)ときたらこの社会などどうでもよくて、カタワの病人がどうしたって事ばかりにこころを配り、オレたちの尊厳など金貨の表裏ほどにも気にかけてはくれない。 今度エルサレムに行った時の再会を約束して二人を帰したんだが・・・
数日後に神殿のお偉いさんがオレを尋ねてやってきた。 「今度エルサレムに来るそうじゃないか。」 なんでアンタがそれを? 「すごい騒ぎになっとるんじゃが、おまえさん知っとるのかね?」 そんなハズはない。 騒ぎになるのが嫌いなアイツはエルサレム行きを弟子たちにしか知らせていなかった。 なのでエルサレムでそれを知ってる人間は身内の者だけのハズだったんだが・・・だが実際にこの連中は知っている。 とすれば、まさか・・・

「そうとも熱心党の連中がエルサレム中で煽っておる。」 しかしアイツは連中を追い返したんだぜ。 「お若いの、そんな事は連中の知ったことじゃない。 とにかく担ぎ出して先頭に立たせちまえば連中の思い通りってワケだ。 本人がどうであろうとね」 もしそれが本当なら大変なことになる。

「またメシア騒動の繰り返しじゃ。 国中の血の気の多い連中が騒ぎ出すじゃろう。 そして、それをローマは黙っちゃいない。 血に飢えたピラトが喜び勇んでローマ軍をエルサレムに進軍させるじゃろう。 さて、お前さん、どうするつもりなんじゃ?」


確かにアイツは華々しくエルサレムに登場した。 街路はアイツを観ようと人々が溢れ出してきた。 最初はとまどっていた弟子たちもすぐに有頂天になっちまった。 だって花の都にあたかも王の凱旋の様に入城しようってんだもの。 どうだいオレたちの先生はこんなにも人気があるんだぜ。 でもオレは空ろだ。
そしてペテロがロバを曳いてきて乗せようとした時には、さすがにアイツも事の次第が呑みこめたようだ。 そうとも昔の預言者はメシアがロバに乗ってエルサレムに入城すると予言した。 これは仕組まれた儀式でしかない。
ロバの先々に自分の上着を投げ捨てて、泥道を被う男たち・・・しかし同じやつらが前の騒動の時には偽メシアをローマ総督に突き出した。 この日の為に花びらを摘んで今それを振りまく女たちは、前にはクチ汚い言葉で罵倒していた。 賛美する唄を唄う子供達は石を投げつけていた。
誰もが希望という名の生贄を賛美している。 それがアイツをどこに運ぶのか・・・そんなことは明白なんだが、期待という目隠しをされた民衆にはそれがわからない。 いや、それすら気にしない・・・

その夜アイツはオレを呼び出した。 オリーブ油の採取場の裏で待っていると、アイツは連いて来た弟子三人を入り口で待たせて、ひとりでオレのところにやってきた。 きっと酒宴の後なのだろう、弟子達はすぐに腰掛けると酔いにまかせて門を背にウトウトしだしたんだが・・・しかしやってきたアイツの顔色は蒼白だった。  「お前はアリマタヤ出身のヨセフっていう議員を知ってるよな・・・」
オレは耳を疑った。 いやアイツは本気だった。 「こんな事を頼めるのはお前しかいないんだ」 だがしかしナゼ? 「それはお前が一番良くわかっているだろう。 今ならまだ間に合う。 しかし、もしこのままオレがメシアとしてみんなに祭り上げられれば、その結果はどうなる?」 オレは了解した。 そうとも、そうなればまたローマ兵がエルサレムに雪崩込み、多くの子供たちが殺され、娘たちは手当たり次第に陵辱されるだろう・・・
翌日アイツは行動にでた。 神殿に入ると、いつもは温和なアイツのクチから、急に呪いの言葉が溢れ出す。 まずは両替商のテントに押しかけて、その商人を殴り倒し、棚をひっくり返す。 生贄の鳩を売る商人の店に押し入ると、籠をひっくりかえして、中の鳩を放した。 なおも神殿に詣でようとする人々に対して罵り始める 「お前らは、ナニに祈っているんだ? こんな神殿なぞ、すぐに崩壊してしまうんだぜ」
さすがに色めきたった人々の群れ。 この騒ぎはなんだと駆け寄せるローマの守備兵。 神殿の広場は騒然となり、誰かがアイツを押し倒し・・・倒れた場所にあったイチジクの木の実がつぶれてアイツの尻を汚した。 アイツはそのイチジクの実を叩き落とすと、二度と実など生らすなと愚痴て・・・
そしてその夜、新婦のベタニアの実家での夕食時。 アイツは弟子たち全員を集めると、こう言い出した。 「さあ呑んでくれ、このワインがオレと呑む最後の機会になるかもしれん」 弟子達は色めきたった。 最後ってのはどういう意味だ。 おれたちの先生はいったいどうしちまったんだろう?、
しかしアイツはオレに目配せすると 「いいか今夜お前たちの中のひとりがオレをローマに売り渡す。」 そしてオレに言った 「さあユダ、やるべき事をやってこいよ」

オレはピラトにアイツをローマへの反逆罪で告発した。 アイツは昨夜オレ達が会ったオリーブ油の搾取所でローマの守備兵に逮捕された。 誓って言うが、オレはその場にはいない。 オレはアイツを密告したんじゃない、告発したんだ。 大体誰がアイツの顔を知らないワケがあるだろう。 先日も神殿で暴れたばかりだ。 そうともアイツはこの時の為に皆に自分の顔をはっきりさせようとしていたのかもしれない。 とにかく・・・
裁判はあっけなく進んだ。 アイツはナニも抗弁しない。 民衆はいつも権威のある方に見方する。 昨日までのメシアは今日は民衆の敵だ。 たった一日の裁判で死刑が決まり、刑場への道で、みんながアイツを嘲り、つばを吐きかけ、後ろから石を投げつける。 ゴルゴダの丘にアイツはT字型の木杭に釘で晒されて・・・そしてたった半日で死んだ。
死亡報告はすぐにピラトに知らされ、異例ではあったが即日木杭から下ろされて墓場に葬られる。 通常はそれでも一週間以上は吊るされたままなんだが、丁度過ぎ越し祭の始まりと重なっていた。 死体を引き取りにきたのはアリマタヤ出身のヨセフっていう議員だ。 そいつは自分の地所の墓にアイツを葬った。
ところが過ぎ越し祭が過ぎてしばらくすると、不可解なウワサが流れ出した。 アイツが復活したというのだ。 妻が墓場に行くと、墓をふさいでいた石が取り払われていたらしい。 しかもその後にアイツに会ったというヤツが何人か出てきた。 これは怪しいとウワサが広まりそうになったんだが、しかしそれもすぐに止んだ。
どうも妻は墓を間違えたらしい。 それにアイツには双子の兄弟がいるそうじゃないか。 どうもそいつが最近エルサレムに来ていたらしい。 

それからオレがどうしたか・・・そう、もうユダヤには居たくなかった。 友人たちはオレが賄賂をもらったんだろうと勘ぐるし、オンナ達は裏切り者と罵る。 それで夫婦の旅連れと一緒に遥々地中海を渡って、今でいうフランスって場所に移住することにした。
旅連れのダンナの方は、フランスに着く前に船の上で腕の傷が炎症を起こして、あっという間に死んじまった。 遺体は地中海の魚たちの餌になった。 女房はフランスに着くなり女の子を産んだんだが・・・長旅が堪えたんだろう。 子供が乳離れする前に死んじまった。
そしてオレはその二人の赤ん坊を育てながら、まだ生きながらえている。 そう、イエスとマリアの子供を育てながら・・・