Robert Johnson


ここに一枚の写真がある。 撮影されたのはおそらく1930年代のテキサス。 まるでマフィアのように縦じまのスーツと帽子、ネクタイに磨きたての革靴、そして異様に長い指にギターをかかえたこの黒人の男性は、じつにスマートだ。 ちょっとブルースマンとは思えない格好だが、よく見ると顔の右と左がまるで違った目つきをしている。 そうか確かにタダのチンピラではなさそうだ。 それがこのページの主人公 Robert Johnson だ。

1911年 5月8日 Mississippi 州 Hazelhurst で生まれる。
1936年11月23-27日 Texas 州 San Antonio で最初の録音。
1937年 6月19-20日 Texas 州 Dallas 二度目の録音。
1938年 8月16日 死亡。

わずか27歳で死んでしまった伝説の Blues Man。右の写真は彼のボックスセットからだが、中の資料に従うなら残された音源は全部でも29曲、しかもその全ての別テイクを入れてもこのボックスセットの二枚のCDに納まってしまう程しか残っていない。 しかし彼が音楽に与えた衝撃は Chicago Blues の超大物 Mudy Waters の全作品にも匹敵するだろう。

ちなみに彼にはいくつかの伝説がある。 ひとつは、彼が或る日急に上手くなったことから『ギターの腕前を上げる為に悪魔に魂を売り渡した男』とうわさされていた事。 そして後ひとつは彼の死について・・・

以下はライナーノーツに書かれている或る日の出来事の拙訳である。 その日 Robert Johnson は先輩のブルースマン Sonny Boy Williamson II と Robinsonville でステージに出演していた・・・


Sonny Boy, being the elder - and certainly the wiser - of the two, had been keeping a watchful eye on the evening's proceedings. He had seen the attraction Robert felt for the lady. He had noticed a marked tension on the countenances of certain persons in the house. He knew that it was a potentially exposive predicament. He was ready.

・・・ Sonny Boy は年上で、そして多分少しは賢こく、二人について、午後の事の進行について注意していた。 彼はその女性を前にした時に Robert が熱中している様子を見ていた。彼はハウスの中の大方の人間の表情が緊張しているのに気づいた。彼はそれがもしかすると危険を暴き出しているかもしれない事を知っていた。 彼は身構えた。

And so, during a break in the music, Robert and Sonny Boy wre standing together when someone brought Robert a half-pint with a broken seal. As Robert was about to drink from it, Sonny Boy knocked it out of his hand and it broke against the ground. Sonny admonished him, "Man, don't never take a drink from a open bottle. You don't know what could be in it." Robert, in turn, retorted, "Man, don't never knock a bottle of whisky outta my hand."

そして、演奏の休みの間、Robert と Sonny Boy の二人が立っているところに、誰かが Robert に封の切られたハーフ・ボトルを持ってきた。 Robert がそれを飲もうとすると、 Sonny Boy はそれを彼の手から取り上げて、地面に叩きつけた。 Sonny は彼に忠告した。「旦那、開いたボトルから飲むンじゃないぜ。中にナニが入っているかわかんないだろ」 Robert は振り返るといい返した、「旦那、おれの手からウィスキーを取り上げたりするんじゃないぜ」

And so it was. When a second unsealed bottle was brought to Johnson, Sonny could only stand by, watch and hope.

そしてそうなった。封の開いた二本目のボトルが Johnson の元にもちこまれ、 Sonny はただソバで立ちつくし気遣いながら見守る事ばかりだった。

It wasn't too long after Robert returned to his guitar that him with his voice and harmonica, but after a bit, Robert stopped short in the middle of a number and got up and went outside, He was sick and before the night was over, he was displaying definite signes of posoning; he was out of his mind.

まもなく Robert はハーモニカで唄いながら彼のギターの元へと戻り、しかしそのすぐ後、 Robert は曲の途中で演奏を止めると、立ちあがり、外へと出ていってしまった。 彼は気分が悪くなり、そして夜明け前には明確な毒の症状が現れていた。彼は気が狂ったようだった ・・・

・・・ わずか、その3日後に Robert Johnson は死んでいる。 時代は未だ人種差別の厳しい‘30年代の南部、彼の死因について詳しく調べられた形跡はない。 しかし誰もが毒殺を信じているのにはワケがある。 何故なら彼はブルースマン仲間からも嫉妬される程にギターを巧みに操ったし、またそれいじょうに無類の女好きでもあった。 まさに彼の唄そのままにやりたい放題に生きていた男だった。 すべての人間から妬まれる事と引き換えに、誰もがこころをうばわれるブルースを手に入れた男・・・ それが Robert Johnson だったのかもしれない。

by seven, 5, Mar' 2001


 上の訳は Stephaen C.LaVere のボックスセットのライナーノーツからの引用だが、 「ロバート・ジョンソン/伝説的ブルースマンの生涯(Peter Guralnick)」にも当時彼と同行していた Honeyboy Edwards の証言が載っている。 死の原因が毒殺である事、及びその原因などの記述には殆ど差異はない。 あるのはそれを目撃したのが Sonny Boy であるか Honeyboy であるかの違いくらいだ。