ヨセフスのキリスト証言 

 ところでイエスは本当に実在したのだろうか? おそらく彼の死後二千年の間、イエスは世界で最も有名な人物であるに違いない。 しかし実はその確たる証拠が存在しないのだ。 勿論新約聖書はイエスに関する記事を多く含んでいる。 しかし、ではイエスと同時代のユダヤ社会の文献にも多くの証拠書類が存在するハズである。 ところがこれがたった一つしか存在しない。 それがフラウィウス・ヨセフスの「ユダヤ古代誌」にある、いわゆる「ヨセフスのキリスト証言」とよばれる一節である。

 さてこのころ、イエススという賢人 −実際に、彼を人と呼びことが許されるならば− が現われた。 彼は奇跡を行う者であり、また、喜んで真理を受け入れる人たちの教師でもあった。 そして、多くのユダヤ人と少なからざるギリシャ人とを帰依させた。 彼こそはクリストス(キリスト)だったのである。

 ピラトスは、彼がわれわれの指導者たちによって告発されると、十字架刑の判決を下したが、最初に彼を愛するようになった者たちは、彼を見捨てようとはしなかった。 すると彼は三日目に復活して、彼らの中にその姿を見せた。 すでに神の預言者たちは、これらのことや、さらに、彼に関するその他無数の驚嘆すべき事柄を語っていたが、それが実現したのである。

 なお、彼の名にちなんでクリスティアノイ(キリスト教徒)と呼ばれる族は、その後現在にいたるまで、連綿として残っている。

ユダヤ古代誌6 秦剛平訳より
 著者フラウィウス・ヨセフスはユダヤ戦争(AD66-70)初期にガリラヤ防衛の指揮官を務めた人物である。 ローマ軍に敗れて司令官ウェスパシアノスの前に引き出された時、ウェスパシアノスがローマ皇帝になると予言して生命を助けられ、その後ウェスパシアノス(彼が実際に皇帝になった後は)彼の息子ティトスと共にユダヤ戦争に(ローマ側として)従軍した。
 問題の「ユダヤ古代誌」はAD95年頃ローマで、崩壊したユダヤの歴史そして精神性をローマ人に弁護する目的でギリシャ語で書かれたという。(ちなみにフラウィウスはウェスパシアノス帝の家の名前であり、元来姓を持たないユダヤ人にあってフラウィウス姓を名乗ったのは、彼がいかにローマで優遇されていたかを示している)
 しかし皮肉にも彼の書物が現在でも残っているのは、その「ユダヤ古代誌」に上記のキリスト証言が記述されていたからに他ならない。 そしてこの「キリスト証言」そのものが(古くは16世紀から)その内容の真偽を問われている。 どういうことだろうか。 つまりこの記事には後にキリスト教徒による追加/書き換えが行われていると疑われているのだ。
 例えば −実際に、彼を人と呼びことが許されるならば− と 彼こそはクリストス(キリスト)だったのである。 は明らかに後の書き加えの疑いがある。 つまり写本の書記が説明として追記したものが、誤って本文として残されたとする説である。
 またヨセフスは家柄に反してパリサイ派的ユダヤ教徒であったようだ。 とするなら すでに神の預言者たちは・・・ の節はおかしい。 つまりこれはキリスト教徒が「ユダヤ(旧約)聖書はイエスがキリストとして降臨することを預言した書物」とする立場の言葉である。 ユダヤ聖書をイエスの下に置きかねない文章をパリサイ派のユダヤ人が書くとは思えない。
 他方ヨセフスはかなり自己弁護的な人物でもある。 ウェスパシアノス帝の予言も自らの命乞いのお世辞でしかない。 そしてユダヤ人としての誇りも強い。 とすれば われわれの指導者たちによって告発 されたイエスに対して好意的な文章を書くだろうか。 なにしろ彼はそのイエスを告発したとされる祭司階級の出身者である。
 歴史の皮肉であろうか。 ヨセフスがユダヤを弁護するために書いた歴史は、結果としてそれを迫害する側(キリスト教会)からイエスの実在を証明する書籍として読まれることになる。 しかもそれはキリスト教に都合のよいテキストに変更されているようだ。
 では本当にイエスは実在したのだろうか。 たとえヨセフスのキリスト証言の殆どが書き換えられているとしても、最初からそのテキストが存在しなかったとは考えづらい。 つまりなんらかのイエスについての記述があったのは間違いないだろう。 とすればイエスは実在したのだろう。 しかしキリスト教会側の証言のようではなかった可能性はある。 なにしろそれ以外は、このヨセフスの(真偽の疑わしい)証言しか残っていないのだから。

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