after the gold rush/neil young

 最初にこの曲に出会ったのは、まだ10代の頃、バーズ・マニアの彼女のレコード・コレクションからだった。 でも当時は「ゴールド・ラッシュ」っていう単語から、単純にアメリカの西部開拓時代へのノルスタジーの唄ぐらいにしか思っていなかった。 なんてこった! 思い違いもはなはだしい。

 それから随分と年月が過ぎ、ある時期急にこの曲のカバーをやる事になった。 さてベースをやっていたわたしは、ギター&ボーカルの彼が歌う日本語の歌詞に多少の戸惑いを感じてしまう。 「きみの言ってる事を考えていたんだ。 全てがウソだったらいいと思いながら・・・」 え? そんな歌詞あったっけ?

 それからなおも年月が過ぎ、数日前にTVで Tell Me Why なんて曲を聴いて急にニールヤングが聴きたくなったわたしは、ITMS からアルバムごと購入して iPod に・・・そして今朝、電車の中で再度この曲に出会う。 出だしはこうだ・・・

Well, I dreamed I saw the knights in armor coming, saying something about a queen 僕は夢の中で、鎧をまとった騎士たちが女王について何かをしゃべりながらやってくるのに出会った
 なんともファンタジックな始まりだが・・・彼らは女王の事を話しているという。 とすればイギリスの軍隊だろうか?
There were peasants singing and drummers drumming, And the archer split the tree. 小作農たちは歌い、鼓手たちは太鼓をうちならし、射手たちが森を切り開いて
 小作農を初期のアメリカ植民地の住民と仮定するなら、この一節は開拓時代の熱狂を描写しているように思える。
There was a fanfare blowing to the sun, That was floating on the breeze そして太陽に向けて吹かれたファンファーレは、そよ風の中へと漂いながら消えていった
 そしてその熱狂はざわめきと共に消えていってしまう。 ちなみにゴールドラッシュとは一般に19世紀中期にカルフォル二アで発見された砂金を求めて、開拓者が押し寄せた時代のことをさす。 なにしろ1849年には、それまで数える程しかいなかった開拓者が急増して、今だにサンフランシスコのフットボール・チームに '49ners という名前を残しているくらいだ。
Look at Mother Nature on the run In the nineteen seventies 1970年、僕は母なる自然が駆けていくのを見つめている
Look at Mother Nature on the run in the nineteen seventies
 そしてそれから一世紀以上経った1970年。 まさにゴールドラッシュの過ぎ去った後の時代から彼は見ている・・・ではナニを? 「母なる自然 (Mother Nature)」 が駆けていくのを・・・ では「母なる自然」とは? またドコへ向けて? 
(「母なる自然」とは、元来はギリシャ的観点なのだが、近代それが復活した背景には意外にも西欧文化のアメリカン・インディアンとの出会いがあるという。 この辺りの詳細は「アメリカ建国とイロコイ民主制/ドナルド・A・グリンデ&ブルース・E・ジョハンセン」参照)

 さて、なぜこんな設定からこの唄を始める必要があったんだろう? 1970年、この曲がリリースされた年。 アメリカはベトナム戦争に疲弊し、ゴールデン・エイジ(’50年代の黄金時代)もはるか昔となりはて、その反動のヒッピー・ムーブメントの「Summer of Love」も前年(’69)には終わってしまった。 そして歌い手はそこから「過去」「現在」そして「未来」を見つめている。 しかしなぜ1970年から?(だってこの曲はその年に書かれたんだから)


 そして彼にとっての「現在」である、第二節が始まる。 ここからはかなり独断的に読んでみよう。

I was lying in a burned out basement, with the full moon in my eyes 僕は焼け焦げた地下室の中で横たわる、目の中に満月を映しながら
 東西の冷戦時代だった当時の聞き手は「焼け焦がれた地下室」というフレーズから、それを核戦争のシェルターをイメージしただろう。 または戦場からの帰還兵であれば、爆破された地下の塹壕だったかもしれない。 とにかく彼の目の中に映る「満月」とは、彼が目撃した弾薬の破裂光に違いない。 そして彼は横たわっている。 おそらくは致命傷を負ったままに・・・
I was hoping for replacement when the sun burst thru the sky 太陽が空を破裂しながら過ぎる間、ダレか交代が来てくれないかと思いながら
 空を破壊してしまうほどに強烈な太陽(爆弾)の爆発が続いている。 この戦闘が終われば、補充兵がやってきて彼をこの窮地から救い出してくれるハズだ。 だが、そんなことはありえるのだろうか? 
There was a band playing in my head and I felt like getting high 頭の中ではバンドが演奏をはじめ、それで少し気が楽になったよ
 頭の中に鳴り響く演奏。 ジミ・ヘンドリックスがファズで「星条旗よ永遠なれ」を演奏していた時代だ。 飛び交う銃弾の音が、ハードロックに聞こえたっておかしくはない。 いやせめてそう考えれば少しは気も休まる。
I was thinking about what a friend had said,I was hoping it was a lie 僕はアイツがいった事を考えながら、それがウソならいいのにと思いながら
Thinking about what a friend had said I was hoping it was a lie
 そして誰か(a friend)が言った事とは? 彼が致命傷を負った事を何気なく示唆した言葉だとしたら? そう、だれだって自分の死なぞ受け入れたくはない。 それとも人間は死んだら最後でナニも残らないなんていう忠告か? しかし死を前にした男にとって、それは余りに残酷だ・・・ 
 かなり独断的な解釈である事は否定しない。 しかし、この第二節を単に「戦闘で死にゆく若者の描写」と捉えるのではなく、その様な状況で感じる「不安」そして、その「無力感」こそがテーマと感じたい。 第一節を思い出そう。 将来の希望に胸を膨らませて森を切り開いていた開拓者たち。 しかしその子孫は「今」この地下室に横たわっている。 「母なる自然」は走り去り、今彼の上に「破裂する太陽」をふりまく。 いや「僕ら」が「彼女」を殺したのかもしれない。 そうとは知らずに・・・
 そして「未来」への夢の第三節へ・・・
Well, I dreamed I saw the silver space ships flying in the yellow haze of the sun 僕は太陽の黄色いフレアーの中を飛ぶ銀の宇宙船を夢に描いた
 1970年において「宇宙」は「起こるべき未来」だった。 新たなる開拓地が無限に広がっていた(ハズだった)。 宇宙旅行の夢が殆ど挫折してしまった現代、この節は余りにロマンチックに感じられる。 しかしこれは夢なのだ。
There were children crying and colors flying all around the chosen ones 選ばれた者たちの周りを子供たちの嬌声と色たちが舞い上がり
 そしてこの「銀の宇宙船」は後に述べられるように「母なる自然の銀の種」でもある。 つまりは未来の「ノアの箱舟」で、そこには「選ばれた者」しか乗ることができない。 残された者には破滅だ。 「子供たちの嬌声(children crying)」とは単刀直入に「子供たちの泣き叫ぶ声」と訳した方がいいかもしれないし、舞い上がる「色」とは戦闘で飛び交う砲弾の色かもしれない。 
All in a dream, all in a dream, the loading had begun 夢ではいつも、そう夢の間ではいつも、乗船が始められていて
 しかし彼はドコにいるのだろうか? 宇宙船の中か? それともそれを見上げるばかりか? いや、彼は焼け焦がれた地下室で横たわっている。
They were flying mother nature's silver seed to a new home in the sun 空飛ぶ母なる自然の銀の種子は太陽の中の新しい故郷へと
flying mother nature's silver seed to a new home 空飛ぶ母なる自然の銀の種子は、新しい故郷へと・・・
 再度「母なる自然」が登場するが・・・今度はその「種」だ。 われらが「地球種」生命体は、新たな「黄金郷」を見つけ出すことができるのだろうか? いや、もし見つけ出したとしても、再度それをまた自らの手で破壊してしまうのでは?・・・

 人類が最初に原子爆弾を破裂させてから62年目の夏の日。 わたしはこの唄を聴きながら、こんなことを考えていた。 戦争は未だ終わっちゃいない。 まだあちこちでミサイルが飛び交い、銃に弾がこめられる。 わたしが生まれてから半世紀の間に、地球の人口は倍以上にふくれあがった。 ところがちっとも賢くはならなかったようだ。 逆に宗教対立ばかりが激しくなり、しかもその背景には残り少なくなった自然エネルギーの奪い合いなんて図式がみえる。 もしも一神教を信じるなら、今こそ「ノアの箱舟」が必要だ。 こんな世界じゃどうしようもない。 一度神様にチャラにしてもらって、やり直したいもんだ。 だがね・・・ それこそ無責任、または無謀ってもんで・・・だってオレ達の大多数は、ましてやオレは・・・間違ってもその「選ばれた者」側じゃない・・・

2007 Aug'6 by seven