平均律は本当に美しい音階なのか?

“完全な協和音だけを用いて一オクターブを十二分割することはできない” のは何故だろうか。 まず下の表をみてみよう。

 今、ここに開放弦でドの音を鳴らす一弦楽器があるとする。 この時一オクターブ上のド(以降ド+1と表記)はこの弦のブリッジ側から 1/2 を押さえる事で得られる。 同様にド+2 はなおその 1/2、すなわち 1/(2の2乗)(以降2^2と表記)ド+3は 1/(2^3) つまりド+7 は 1/(2^7) の長さとなる。

 ところでドの完全協和音である五度上のソは 2/3 の位置であることが知られている。 同様にソの五度上のレ+1は (2/3)^2 なお五度上のラ+1 は (2/3)^3 続けて ミ+2 は (2/3)^4 、シ+2 は (2/3)^5 、ファ#+3 は (2/3)^6 、ド#+4 は (2/3)^7 、ソ#+4 は (2/3)^8 、レ#+5 は (2/3)^9 、ラ#+5 は (2/3)^10 、ファ+6 は (2/3)^11 、ド+7 は (2/3)^12 となる。

 さてもし“完全な協和音だけを用いて一オクターブを十二分割すること”ができるとするなら、上記の完全協和音から得られた ド+7 であるハズの (2/3)^12 は、オクターブから得られる 1/(2^7) と等しくならなくてはいけない。 ところが 1/(2^7) = 1/128 であるのに対し (2/3)^12 = 4096/531441 = 1/129.746337890625 となってしまう。 つまりオクターブから得られるド+7 より短く(高く)なってしまうのだ。
 これはどういうことだろうか? 「古楽のすすめ/金澤正剛」第一章「古楽とは」より抜粋してみよう。
“・・・周知の通り、一オクターブを理想的な形で十二等分することは不可能である。 そこでバッハ以前には、ピュタゴラス音律にしろ、中全音律にしろ、どこかにしわ寄せをする形でその場をしのいできた。 しかしどんなに試みても、完全な協和音だけを用いて一オクターブを十二分割することはできないと思い知ったところで、それならば無理を承知で一オクターブを十二等分してしまおうと決心したところから、生み出されたのが平均律である。 その結果、完全五度は本来の音程より少々小さめに、完全四度は少々大きめにとることとなった。 言い換えるならば、少しずつ狂わせるわけである・・・”