inn

港のはずれに民宿らしい看板が点いているのが目に入り
しめた!あそこでなんとかしようとそれを目安に歩き始めるが
ところが彼の目測のあやまりか思ったより距離があり
タダの民宿と思ったその建物は近づけば近づく程に大きく
どうも数階建ての温泉旅館のようで

なんとか玄関にたどり着き、しかし無人で
「こんばんわ~」と呼びかける事数回
やっと不機嫌そうな女将が出てきて
「どちらさんですか?今夜は団体でもう一杯なんですがね」
まるで面倒くさそうに取り合ってくれない

玄関払いされた彼はしかし外に出されて気が昂り
客商売のくせにふざけやがって、金ならあるのに
と胸に手をやるがアレレ?無い、彼の財布が見当たらない
スマホを入れてるハズの尻ポケットもカラッポだ
どこで落としたか、いやホテルを出た時から手ぶらだったのか
と真っ青になり

中からは楽しそうな宴会の音が聞こえてくる
今夜はつくづくついていない、なんでこんな目にあうんだ
と思うと悔しさもつのるばかりで
こうなれば、そうだ団体客とか言ってたな
その中に紛れ込めないだろうか、などと不穏な事を考えだして

ぐるっと旅館を裏の方に回ると勝手口が開けっ放しで
隣の中居部屋では女中が二人居眠りをしている
しめしめと靴を脱いで上がり、
その靴を胸に抱えて持っていこうとも思ったが
さすがに泥だらけでこれじゃスーツが汚れると隅の方においたままに
足音を忍ばせて廊下の奥に進みだし

団体は100人程の大宴会場にめいっぱい、しかも皆かなりの酩酊状態
これなら一人くらい入りこんでも気づかれまいと
隅っこ高いびきの客の席の間に入り込み
すると目の前に空いてない御銚子が数本、少し酔いも醒めてきたので
構わずグイっとやるとこれが良い酒で
その前に並ぶ料理もやたらと旨そう、食べ残しでも構うものか

そんなでどれくらい過ごしたのか
どうも途中で眠り込んでしまったようで
誰かが彼の肩をかるく叩いている
「女将さん、このお客さんなかなか起きてくれなくて」
宴会も終わって客室に客が引っ込んだ後なのか
マズいと思って目を開けた瞬間に愛想の悪い女将と目があってしまい
「あらアンタさっき追い返したひとじゃないのかい?」

あわてて逃げ出そうと走り出したが、さて勝手口はどっちだ
今は思い出すよりは逃げ出すのが優先と
後ろからのバタバタ足音にせかされ
見ると靴置き場の窓が開いていて
どれでも構わぬと靴を一揃い拾ってそこから飛び出した
しかし急ぎ過ぎて右と左の靴を別々に選んだらしく
走るにもぎこちない

なんとか旅館の敷地から抜け出して暗闇の中に潜りこみ
中の騒ぎが収まるのを待っていたが
女将はものの数分で諦めたらしく
代わりに旅館の男衆が見張っているのがみえた

自分の情けないといえばこんな情けない事態に
とにかく彼は足を忍ばせながら海岸通りを
トボトボと歩きはじめ


by seven 2022/08/01